いう感じの結果だったと

もしも子供がいたら?という、ブログ村エッセイの注目記事を読んだ。
書き手は80歳代の男性助聽器價格

奥さんが子供が欲しくないというので、子供を産まなかったそうだ。
夕食を作りたくないというなら、抜きでいいよ、というノリ。
で、子供がいなかった人生を振り返ってみると、風邪を引いたら鼻水が出た、という感じの結果だったとのこと。
子供を持つには職業選択基準が変わり、育てるためのお金を生み出すことを第一に考えざるを得ない。 
そうすると、(稼いでくれる妻)髪結の夫だったら経済的心配はしなくてもよかったわけだが、(子供を育てるには経済力が十分とは言えない、大黒柱にはなり得ない)今の妻と結婚したことが子供を持たない大きな理由となる。
じつにわかりやすい。
そのブロガーさんは、子供の養育のために好きな仕事を選べない、奥さんは子供が欲しくない。
夫婦で意見や考え、方向性が同じなら悲劇は起こらない。
一方が子供が欲しく、もう一方が欲しくない、とか、
二人とも熱望しているのに出来ないとか、
苦悩の種はあちこちにある。

姑はわたしの兄夫婦に子供がいないことを、なぜ生まないんだろう?と、再三再四、わたしに言っていた。
あんなに賢い姑なのに、なぜそんなことがわからないのか不思議だった。
医学知識ゼロ。デリカシー、ゼロ。
本人に直接聞かないだけでもマシだが。

子供は出来たか?と毎月、結婚した翌月からまだかまだかと矢の催促に、さすがにタフで無神経なわたしでも、うんざりした尖沙咀牙醫
昔の人、戦中派は、頭の中身、脳内部が違う。
無知は人を傷つける。
本人はそのことに気がついていない。
自分が無知であることも、それで人を傷つけていることも。
わたしが、教えてあげたらよかったのだが、わたしは自分の脳を素通りさせてしまった。
素通りさせなければ神経が持たないことは、ほかにもたくさんあった。
だが、世代ギャップ、ボタンの掛け違いだろう。
どちらが悪いというものではない。
善人同士。

さて。
わたしは、なんとなく子供を産んだわけではない。
若い独身のある時期、自分が生きている意味を自問自答した。
ぎゅーと脳みそを収縮させ、考えた。
で、過去から未来へ生命を繋ぐことに自分存在の意義を見出した。
子供を生み、時空の架け橋になること。
科学脳が半分、哲学脳が半分。
で、結婚して子供を産むことにした。

長女は、目標を掲げて仕事をしていたが、ある時、ふと思ったそうだ。
どんなに200%の力を振り絞って頑張っても、自分は組織の歯車の一つで、自分の代わりはいる。
自分にしか出来ない唯一無二のことは、子供を産むこと。
そう思い、本社から支店に代わり、結婚して子供を産んだ。
それぞれ、自分の人生を思い詰めて出した結果である。

エッセイ記事のブロガーさんも、ご自分で出した結果が子供を持たないこと。
それぞれに、それぞれの人生があるct檢查