しか見えない状態から一

西洋への憧れは、キラキラ光り輝く面しか目に入らなかった無知による。
偏見と思い込み。
ではあるものの、普通の人々の暮らしは暖かいものだったBB無便便

今でも、どの部分を見て、どの部分を見ないかによって、感想は変わる。
全てをわざと見ないのか、見ようとしないのか、
好きなことばかりや刺激的なことを見ようとするのか。
目に入っても脳が素通りして、見えていないのか。
端から端まで、浅く広くなら見れても、深くは見れない。
総合的に俯瞰的に見るか、ピンポイントで見るか。
ピンポイントは、どれを選ぶか選択によって、ずいぶん変わってくる。
どんぴしゃり、真ん中、平均のピンポイントなど、あるのだろうか。
中央値は、必ずしも1番多いゾーン、層だとは限らない助聽器比較

と、話がどんどん脱線している。
いつも、こう。

大人になるにつれ、見える景色が広がる。
見識が深まると、さらっと表面に現れているものしか見えない状態から一歩進む。
が、それが良いとは限らない。
曇ったメガネや、低視力の裸眼でさらっと見るだけのほうが良い場合もある。
わざと見ないのか、心がなく注視してないから見えないのか。
シーンシーン毎に、鮮明モードを切り替えられたらいいなあ、、、だが、意識して選択すると脳が疲れて休む間がなくなる。
なので、わたしに関しては、気の向くまま、気分次第でよい。
第一、コントロールできないし。
制御不能は、神様からのプレゼントだろう超声刀