昔のことを断片的に思い出して、きゃっと真っ赤になることがある。
苦しいぐらいに恥ずかしい。
苦しいを通り越して、きりきり痛々しく苦痛。
特に、仕事で恥さらし的なことをした時投資 地產。
出来もしないことをさせられ、恥をかいているのに、仕事になっている。
それでお客様は代金を支払っている。
支払う側も大きな会社の雇われの身だから、自腹ではないので痛くも痒くもない。
しかし、なあ、、、
お金をもらうからには、それに相応しいことをすべき。
お金の流れとしては、非常に両者、円満なのだが、わたしの仕事レベルでは、まるで、詐欺である。
わたしは、クライアント会社の社員さんにレクチャーをしに出向いた。
素人さん相手ならともかく、企画部の人様相手にレクチャーなど、とんでもない澳洲讀書。
堂々と、デタラメをそれなりにハッタリ、ならまだしも、いかにも自信がない、いい加減な適当なレクチャー。
早口でペラペラ、薄っぺらく、用意していたものを読んだだけ。
専門的でもなんでもない。
ああいう仕事を何回もした。
ひどく精度の低い仕事英國置業。
あんなことは、もう二度と、ごめんだ。
最低の仕事なのに、お金がもらえる。
良心の呵責に苛まれる。
でも、誰も泣きを見ていない。
誰にも迷惑をかけていない。
お金を支払う会社も、支払ってもらう会社も、円満。
実に不思議なお金の循環。
世の中には、こういうことはよく行なわれているのかも知れない。
例えば、年度末の予算の使い切りとか。
必要なことにお金を使うわけではないのに、使い切ってしまわないと、次年度の予算を確保できない。
不必要かも知れないのに、立て続けに行なわれる公共事業とか。
思い出したくもない過去である。